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ステファン・ウルクハート&MclarenF1


ステファン・ウルクハート


文=鈴木正文(本誌) 写真=森川 昇 スタイリング=櫻井賢之
  グルーミング=AZUMA at mondo-artist.com (super sonic)



オリンピックのDNA

 8月8日にはじまる北京オリンピックの時間計測すべてを取り仕切るオメガは、オリンピックの「影の主役」である。勝敗や順位を最終的に決めるのはタイムだからだ。速さでなく点を競うゲームであっても、与えられた時間内でたたかう以上、すべての参加者が信用できる正しいタイムが基準になければゲームが成立しない。かくして、計時が正しいことが、一切の前提になる。
 1932年の第10回ロサンジェルス大会のとき、オリンピック委員会ははじめて、統一的な公式計時制度を導入する。
ステファン・ウルクハート&MclarenF1
 そのとき、その任をつとめたのがオメガだった。スウォッチが担当した1980年代末期から1990年代はじめの一時期を別にして、以来、オメガはほぼ一貫してオリンピック競技を裏で支えてきた。北京大会はオメガにとって23回目のお役目。そのオメガの社長が、「表紙の男」のウルクハートさんだ。
 「いよいよですね」「ハイ」とやりとりしたあと、「ダイジョーブですか」と聞いた。なにがって、ことしに入ってから、中国は問題につぐ問題に追われだしたからだ。国際的にはチベットの人権問題や深刻な大気・土壌汚染の発覚でイメージを落とし、国内的には四川大地震という大災害と、それを機にはしなくも暴露された学校施設などの工事のずさんな実態が物議をかもした。それに、わが日本では冷凍ギョーザや野菜、ウナギその他中国産食品類のデンジャラスな実相が次々と露見して、いまや中国の信用はガタ落ちである。「わかります。でも大丈夫です」  ウルクハートさんは即答した。
 「中国は驚異的な成長を、いま成し遂げている最中です。そして、パーフェクトでないところがたくさん残っている。でも、それもいずれは好転していくとおもいます。いずれにしろ、われわれはそういう問題の外にいます。なぜなら、オメガは大会のいわゆるスポンサーではない。立場は明快です。報酬をもらって専門的なサーヴィスを提供することです。そのためにこの瞬間も、370人のオメガ社員が北京で仕事をしている。ケーブルを敷設したり、光ファイバーを設営したり」
 そうか。オメガはスポンサーではないのだ。請われてタイム計測の仕事を引き受けている、ということか。それにしても、オリンピックにそこまでこだわるのはなぜでしょう?「DNAですね、オメガの。2002年にヨーロッパでおこなった調査によれば、オリンピック・ゲームのタイム・キーパーはどこかという質問にたいして、72%の人がオメガと答えました。それぐらい強い歴史的つながりが、オメガとオリンピックにはありますから」


伝説のメーカー

 オメガは伝説を多くもつ時計メーカーだ。しかも、それが一般にも知られている。ウルクハートさんみずから、「月があり、オリンピックがあり、コーアクシャルがあります」という。月とははじめて宇宙に行ったクロノグラフ・ウォッチ「スピードマスター」のことであり、オリンピックとはむろん、1932年の時点で10分の1秒単位に時を刻み、勝者を勝者たらしめる究極的根拠となった高精度計時のことだ。では「コーアクシャル」とは?こっちは解説がすこしむずかしい。
 時計のムーブメントの要となる重要部品に「脱進機」といわれるものがあり、その脱進機の、オメガ独特のメカニズムの名称が「コーアクシャル」である。脱進機は、巻き上げられたゼンマイをゆいいつの動力とする機械式時計の部品中、もっとも過酷な仕事を引き受ける。なぜなら、ゼンマイがほどけていくエネルギーは、脱進機を介して振動機構に伝えられるからだ。この脱進機の安定した精度と持続性を高めるあたらしい仕組みが「コーアクシャル」。この機構は孤高の時計師であるイギリス人のジョージ・ダニエルズ博士が考案した。オメガは博士と共同でこれを実用化にこぎつけ、唯一無二のこのテクノロジーを搭載する製品範囲をいまひろげつつある。
 ま、コーアクシャルのようなむずかしい技術のことは別として、ではウルクハートさん、人はなぜ高級な機械式時計を欲しがるのでしょう?
「夢です。夢を買っているんですよ」
 即答だった。ということは、売っているのは、時計というよりも、夢?
「そうです。一時期、機能を売ろうとして、われわれは失敗しました」と、ちょっと苦笑をまじえていった。話は1970年代、ウルクハートさんが大学を出てオメガに入ったばかりの、新米社員時代にさかのぼる。


「機能」と「夢」

 ウルクハートさんは1968年から1974年までオメガに在籍したあとオーデマ・ピゲに移り、そこで社長にまで上りつめた。ジャガー・ルクルトやブランパンでも役員を務め、1999年に古巣のオメガに社長として戻る。過去40年間のスイス時計興亡史を裏の裏まで知る人だ。
 かれが入社した1968年、オメガには時計師が2000人以上いたという。黄金期だ。しかし、1970年以後本格化したセイコー以下の日本勢のクオーツ攻勢のまえに、それはあっけなく終わってしまう。
「機能を売ろうとして失敗した」というウルクハートさんの言は、このへんの事情を語るものだ。正しい時刻を示すことが腕時計の本質的な使命だといい続けてきた以上、正確性においてクオーツに敗れれば、機械式時計なぞ時代遅れなだけの存在になってしまい、欲しがられなくなる。そのことが起きたというのだ。
 当時、スイス時計工業が被った打撃についてはもはや多言を要しないが、80年代後半から機械式高級腕時計がじわじわと復活する。そして、かれがオメガに戻った1999年、スイスの高級機械式時計は、すでにわが世の春を謳歌しているように見えた。しかし、その時点でもオメガには、わずか100人ばかりの時計師がいただけだったという。
 30年間に状況はそれぐらい激変していた。
「夢」ではなく「機能」を売ろうとしたことの代償だった。
「いま、私たちは夢に立ち戻ったのです。というのも、時計はある意味、ジュエリーよりも夢の成分が大きいものですからね」
 ジュエリー対時計でいうと、夢の成分はジュエリーが大きいとおもうのはまちがいだというのは、奇異に聞こえる。というのも、これはすなわち、「プロダクト=製品性の価値部分が、時計よりジュエリーのほうが大きい」と主張しているのに等しいから。時計はすくなくとも時刻を知らせる「機能」をもっているのに、女性のダイアモンドのネックレスにはどんな機能もないではないか、とふつうはおもう。そういう常識と反対のことをウルクハートさんはいったのである。しかし、常識が見落としているのは、品質の低いダイアは、「女性の虚栄心をよろこばせる」という「機能」を果たせないことだ。いっぽう、アンディ・ウォーホルはいつも動かない時計をはめていた。それは告時機能ゼロの時計だったけれど、夢のある時計だった。時計ってなんなんでしょうね?

1991年にF1コンストラクター、イギリスのマクラーレンが発表した究極のスーパー・スポーツカー
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1991年にF1コンストラクター、イギリスのマクラーレンが発表した究極のスーパー・スポーツカー。BMWモータースポーツ社謹製の6.1リッターV12、627psを、カーボンファイバー・コンポジットで成型した1140kgの軽量モノコック・ボディのミドに搭載する。64台が生産されたのみで、最高速は400km/hにせまる。名レーシング・エンジニア、ゴードン・マーレーの会心作。
 
 
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