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from EDITOR|ENGINE 2011.5 No.128


 3月11日午後のそのとき、僕は編集部で打ち合わせをしていた。編集部は東京・新宿区神楽坂の、高台の住宅街に建つ古い5階建てのビルの2階にある。いまさらいうまでもないけれど、激しく、長く揺れた。水道管が壊れてあふれ出した水がフロアの一部を水浸しにした。しかし、人的にも物的にも被害というほどのものはこうむらなかった。
 校了日のちょうど1週間前だから、すでに追い込みのタイミングに入っていたけれど、いくどか激しい余震もあったし、交通機関の混乱はすでに都心でもはじまっていたし、それにこの非常時にケアしなければいけない家族のある者も多いし、ということで、その日は早々に全員が帰宅した。編集部のドアの鍵をかけてポルシェに乗って家をめざしたときは、それでも8時に近かっただろうか。
 編集部から8キロメートルぐらい南の港区に僕は住んでいる。ひどく混雑すれば40分ぐらいかかるけれど、道が空いている夜なら20分程度で着く距離だ。渋滞は通りに出たとたんにはじまっていた。混雑を避けようとして大きな道を選んだのだけれど、家に着いたのは日付けがあらたまった午前1時ごろだった。信号が機能停止していたわけでも、道路が陥没していたわけでもない。四方八方から都心に向かい、あるいは都心から四方八方に向かう数知れぬクルマたちが鉢合わせした結果だった。こういうときに、クルマはポルシェでも軽自動車でも、交通手段そのものとしてはあまり役に立たない。でも、それはいい。100年に一度あるかないかという事件が起こったのだから、そういうことがあってもおどろくほどのことではない。
 翌日ぐらいから、いろいろなメールが来た。仕事上で知り合いはしたけれど、それほど濃密なつきあいがあるわけでもない外国人の反応が速かった。ミラノに住む知人は、「いつでもミラノに来てほしい」と書いていた。パリの知人も、「わが家は君と君の家族のために家を開放することに決めた」といってきた。どちらも、福島の原子力発電所の事故に触発されてのものだった。地震発生後2日目ぐらいで、水素爆発が起きるやいなやのタイミングだった。
 東京に住む医師の知人は、15日になって「医師、弁護士として、現地でボランティア活動をしようと決めました」といって、岩手県の被災地に向かった。若い女性である。翌日、かの女の携帯から「すごい雪です」と題したメールが届いた。被災者は「2人でひとつの凍ったおにぎりを分け合っています。日本人は凄い!」と書いてあった。
「不謹慎だと思いましたが、万が一のときはテキーラを飲もうと一本だけ持参しました。昨日は、あまりの寒さに隣にいたおじいさんにキャップ一杯のテキーラを差し上げたら、“こんなに美味しい舶来のお酒は初めてだ”と、自分の半分のおにぎりをくれようとする姿に、人間本来の姿を感じ、震えて涙しました。恐怖と寒さで眠れない方々には持ってきてよかったと思い、皆さんにキャップ一杯ずつでしたが差し上げました。暖まるしホッとした、と喜んでくれました。昨晩は多くの方が眠ってくれました。眠ることは大切だから。今日でテキーラも終わります」
 さらにかの女は、「いくら診察しても検死しても何千体という遺体と、怪我人の皆さまに満足いただける治療ができないことに胸が痛いです。昨日は赤ちゃんが亡くなり、動揺してしまいました。東京ならふつうに助かった命なのに、悔しいです」と書く。それでも、「初めて人の役にたてるかもしれない機会を与えてもらったとつくづく感じます」と付け加えた。そして、いまこの文章を書いている17日には、「岩手から高度医療やオペが可能になった宮城県へ移動中です」と報せてきた。「知るかぎりの知識と知人の医師との協力で努力してみます。元気です!」と結ぶメールがどこか明るかった。
 僕はこの1週間近く、毎日デスクにへばりつきながら、テレビの報道に気を揉んだり、嘆いたり、うろたえたりしていただけだった。この地震による被害と、そしていまだ危機的であるとされる原発事故の行く末は、だれも知らない。わかっているのは、どんなことになろうとも、人間らしい生活を送ることを願う多くの人がいる、ということだ。被災の地にも、被災を免れた地にも、原発周辺にも、そこから遠く離れた場所にも、亡くすべきでない人を亡くした人であっても、震えている人であっても、さいわいにして暖かい部屋と食事に恵まれている人でさえも、人間らしい生活を送ることを願っている。その願いはきっと、人間らしい生活をたぐり寄せることができる、と僕は信じる。
 いい忘れたが、かの女はふだんフェラーリに乗っている。(鈴木正文)
 
 
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