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from EDITOR|ENGINE 2011.8 No.131


 作家の矢作俊彦さんと話していた。時節柄、地震のことが話題にならないわけにはいかなかった。
「思うんだけど、日本って、すくなくとも3回繰り返しているよね」
 作家はシガリロを喫いながらいった。晴れた土曜の昼下がり、通りの向こうに公園が見える都心のフレンチ・カフェにいた。じっとしていてもうっすらと汗ばむほど蒸し暑かった。時折そよぐ風が、余計に気持ちよかった。ダヴィドフ・ジーノの、すこしだけ甘酸っぱい芳香が風に乗った。葉巻は夏に似合う。
 3回というのは、大きな地震のことだった。1855(安政2)年の安政期江戸の大地震、1923(大正12)年の関東大震災、そしてこんかい――。いずれもそのあとに、大きな社会の変化があった。ごく粗くかいつまめば、ペリー来航2年後の安政江戸地震が安政の大獄から明治維新へといたる道を用意し、関東大震災は、世界恐慌を媒介にして1931(昭和6)年の満州事変から、その2年後の5・15事件、1936(昭和11)年の2・26事件、そして日米開戦へとつづくコースを招き寄せた、というように。ならばこんどは、と僕はかんがえてみた。どんな変化なのだろう、と。
 目の前の、お湯で薄めたエスプレッソを口にふくんで、ほどよい苦味を臓腑に沁みわたらせた。旨いコーヒーは、神経を刺激した。しかし、どんな変化をも、リアルに思い浮かべることはできなかった。ただ、人間がここまで弱くてみじめな生き物になれるということ、そしてそのなかで、高い精神を持ち得る人が少なくないことを知った、と反芻することはできた。人間は弱くて強い。
 しかしこんどは、原発事故の過酷な現実もある。それは数時間や数日や数カ月の忍耐によって霧消しないあたらしい危機だ。そして、僕たちのこれからの日々に常在する。いま、ここにあって、あすも、そこにありつづける。どこにも逃げていかない。
 逆説めくが、危機は常在するなら、例外的な瞬間でも例外的な現実でもない。非常ではなく通常になる。暗い映画館の扉のうえに点灯する「非常口」のサインを、僕は思い浮かべた。いま、僕たちの場所に、この明るい暗闇に、外部へと通じるグリーン・ランプの「非常口」はない。
 絶望的じゃないか、とおもった。
 しかし、出口がないということは、すくなくとも、出口を探す徒労から僕たちを救う。僕たちに出口がないならば、僕たちは生きるのに値する生活をこの場所でつくるのだ、という美しい決意に、僕は誘われた。
「疲弊しているんだよ。戦後復興からはじまった、戦後民主主義ということばで象徴されるひとつの文化が、行くところまで行って、熟爛した。そこでドラスティックな革命が起こるかわりに、地震が起こった。この国では江戸末期にも、戦争の前にも、そうだった。ひとつの文化が熟爛して、制度疲労を起こしてそれが陳腐化したときに、地震が起こった。そういうふうにしてしか、この国は変わってこなかった」
 矢作さんのことばは、諦念を語っているようでもあり、また、希望を語っているようでもあった。  その数日後、イタリアでは原子力発電再開への取り組みの是非を問う国民投票がおこなわれ、反対票が賛成票を圧倒した。ドイツ、スイスにつづいて、イタリアの原発にも、フクシマが死の判定をくだした。その報に接したこの国のどこかの政党の幹事長は、「集団ヒステリーだ」と口走ったという。
 しかし、かれは語法をまちがえている。ヒステリーは通常、感情を統御できない状態を意味するのだが、危機に際会して、凍りつかずに「非常口」に向かうのは、感情的ではなくて理性的な行動だからだ。津波の襲来をまえにして、みながわれさきにと逃げるのは、集団ヒステリーではない。生き延びるための、あたりまえの、ロジカルな行動だ。津波も原発事故も、僕たちが生きているあいだにかならず起こるものではないけれど、起こるときには起こるということを、僕たちは知ったのではなかったか。起こったときに、死ではなく生きることを決意するのは、ヒステリーではない。
 おなじ映画館のなかで「非常口」を奪われた僕たちは、暗闇をさいわい、望めばこれまで見ずにすんだ隣人たちを、まじまじと見るだけでなく、かれらとともに生きていかなければならない。それは、避難所における集団生活に似るかもしれない。
 そうであるなら、隣人たちとの暮らしを、生きるに値するものにすることによってしか、僕たちはよく生きることができない。その隣人たちには、集団ヒステリーを嘆いた幹事長もいれば、子どもじみた権力ゲームを繰り広げている別の政党の首領どももいるにしても。 (鈴木正文)
 
 
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