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“新”も“旧”も超越した存在。


Bentley Mulsanne/ベントレー・ミュルザンヌ
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Bentley Mulsanne
文化遺産だ!


英国、クルーでいちから新設計された新型ミュルザンヌ。なにもかもが新しいのに、なにもかもが偉大なほど不変だ。
文=今尾直樹 写真=望月浩彦

Bentley Mulsanne/ベントレー・ミュルザンヌ
 おごそかであった。とはいえ、陰気な気配はどこにもなかった。どこか軽やかでさえあった。5週間かけて原板からピカピカに磨き上げられたウッド・パネルが眼前に広がっていた。軽く手を添える肌触りのよい革巻きのステアリング・ホイールはハンド・スティッチで15時間、最高級のレザーを用いた室内のトリムは、24人の熟練職人が携わり、完成までに6時間を要するという。
 このような天然素材と手作業からなるミュルザンヌの19世紀的空間は、水回りに近代化の施されたグランド・ホテルみたいに居心地がよくて、首都高速の渋滞がまったく苦にならないのであった。ソロソロと匍匐前進して行くと、池袋あたりの右コーナーでタクシーが1台ひっくり返っていた。なんとかわいそうに。と高貴なひとが抱くであろう心情に似ているかもしれない同情心がささやかながら筆者にも起きた。ミュルザンヌの室内から見ると、それはまったく別世界の出来事にも思えて。
 全長5575mm、全幅1925mm、全高1530mmという巨体のミュルザンヌは、路上を走る軍艦のようでもある。車重は2710kgもある。大きくて重い。帝国主義的遺物といえば、まさにそうであろう。私のようにそれを称揚する者は、まさしく「旧感覚派」であるやも知れぬ。
 しかしながら、いわば巨大なマナー・ハウスがふわりと浮かんで移動するのだ。これ以上の贅沢はない。贅沢には勝てない。09年にデビューしたミュルザンヌは、依然として大英帝国の、もはや幻影というべきかもしれない威光を燦然と放つ。
(上)主要部品のほぼすべてが見直された6.75リッターV8。可変カムに加え、気筒休止もする。
(下)スイッチひとつでサスペンションとステアリングの特性を変更することができる。
 幻影ながら3トン近い。これを動かすには、排気量6747ccもの巨大な内燃機関を必要とする。ベントレー伝統のV8OHVは巡航時には4つのシリンダーが停止するとはいえ、ふたつのターボチャージャーによって最高出力512psを4200rpmで、1020Nmもの最大トルクを1750rpmという低回転で軽々と生み出す。1020Nmというと、ウチのホンダ・フィットのじつにおよそ8倍以上ということになる。
ホイール・スピン

 外環自動車道の料金所を過ぎたところで軽くアクセルを踏み込むと、スチール製の路面のつなぎ目に乗った後輪がホイール・スピンを起こす。即座にトラクション・コントロールが作動するため、何ごとも起きないけれど、1350kgもの後車軸荷重を加えられた超大型高級セダンがこのようなふるまいを見せること自体奇跡と言っていい。W・O・ベントレーという天才のみがつくりえた、奇跡的なスポーツ・ブランドだけに許される特質というべきであろう。語り口がなんとなく司馬遼太郎になっているのは、筆者が最近『坂の上の雲』を読んでいるからである。
 資源の有限性について語られる21世紀のこんにち、このようなヴィクトリア朝的退廃、放蕩、放埒がなお許されるのか。そこに正義はあるのか? とハーバード白熱教室のマイケル・サンデル教授なら問うかも知れない。むずかしいことはわからんのであるが、私は問わない(サンデル教授も問うてないが)。というのも、ミュルザンヌは年間800台しかつくられない文化遺産だからである。20世紀の工芸品をいまに引き継ぐ、自動車界における桐ダンスとか漆器とか西陣織であって、およそ工業製品と呼べるような代物ではない。
 ベントレーの創始者、W・O・ベントレーは3リッターと呼ばれる1号車を開発中こう考えていたという。「ポリシーはひとつだった。我々は、速いクルマ、よいクルマ、そのクラスのベストをつくる」
Bentley Mulsanne/ベントレー・ミュルザンヌ
(上)特別ななめし技術を施されたレザーは、使い込まれたヴィンティッジの風合いを持つ。
(下)レザーは24色の標準色または4種類のコンビネーション(2色を配色)から選択できる。
 自伝ではさらにこう続く。「利益が出始めたら、自分たちの工作機械を手に入れ、もっと小さくて、安いクルマ、ブレッド&バター・カーもつくろう」
 W・O・の時代のベントレー・モータースは利益というものが出なかった。わずか12年で消滅し、「狂乱の20年代」の伝説になった。W・O・の安いクルマが実現していたらなぁ……。とつぶやいてもせんない。

全製造時間のほぼ半分にあたる約170時間がインテリアの工程に費やされる
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0-100km/h加速は5.3秒。レースの血統を受け継ぐ高性能車だ
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全製造時間のほぼ半分にあたる約170時間がインテリアの工程に費やされる。ウッドとレザーに取り囲まれたキャビンを見れば、ミュルザンヌが大量生産の対極にあることがわかる。
0-100km/h加速は5.3秒。レースの血統を受け継ぐ高性能車だ。V8ツインターボと組み合わされるのはZF製の8段AT。ベントレーのフラッグシップはすなわち世界のサルーンのフラッグシップでもある。



(2011年8月号掲載)
 
 
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